2012年9月 3日 (月)

「きぼうときずな」に参加させていただいて

昨年の10月下旬の3日間、郡山市での冨岡町の方々への支援活動と、今年829,30日の2日間、いわき市での支援活動に参加させて頂きました。

 昨年9月に参加したクラスメートの呼びかけで、郡山市へ行くことを即決したのは良かったのですが、決めてからも、現地・郡山市に行っても、かなり緊張した状態で、3日間の活動をしました。(3箇所の仮設住宅への戸別訪問と、健康サロンへの参加が1回でした。)

原発事故の影響で全町民が避難をしている冨岡の方々に、個別訪問をし、状況を伺い、健康上課題のある方には受診勧奨をしたり、簡単な保健指導をしたりする中で、その方々の被災当時の状況や、過ごしてきた避難生活の様子を、直にお聞きすることができたことは、貴重な体験であり、被災地と被災者の方々をより身近に感じることが出来たと、思います。

それにしても、緊張していて、また、力不足を感じて、あまりに自分の事に精一杯で、「心から被災者の方々に添うことが出来なかった」という思いがあり、「行って良かった」と思いながらも、どこかすっきりしない状態でした。

そんな気持ちを抱えたまま、1月下旬のサポートグループに、参加させていただきました。郡山で一緒に活動した方、違う時期や違う場で活動した方々、送り出す側の方のお話をお聞きし、自分の思いを語る中で、気持ちの整理がついていきました。(サポートグループを設けていてくださること自体が、聖路加の素晴らしいところだと思います。)

そして今回、また、自分の仕事にあまり影響なく、同僚にも、職場にもあまり迷惑を掛けないで、休みが取れそうな日程で募集があり、夫や子ども達も前回同様、快く承諾してくれたので、いわき市へ行かせて頂きました。

いわき市では、津波の被害で家が壊れ、借り上げ住宅に入居されている、いわき市民の方々の戸別訪問をさせて頂きました。

玄関先で聞き取りの方が多かったですが、ある女性の方は、部屋の中へ入れてくださり、ご自身が、自宅にいて津波に襲われ、真っ黒な海水を飲みながらも、柱にしがみついて助かった話をしてくださいました。歯をくいしばってしがみついて、奥歯が3本折れたけれど、それ以外の健康被害はなかったこと、勤めに出ていた長女と5日間会えなかったが、無事だったことなど、少し涙を浮かべながら話してくださいました。その方のお部屋には、借り上げ住宅に入居してから作った、たくさんの美しい手芸品が部屋の壁やテーブルの至る所に飾られていました。また、とても綺麗にお化粧をしていらっしゃる事も、大変印象的でした。新築の家は失ったけれど、置かれた状況で、自分らしさを取り戻して、日常生活を営むその姿に、とても励まされました。そして、話を聞かせていただいた私にも、遠く離れた地から私を送り出した私の夫にまでも、お礼を言ってくださいました。

また、別の独居男性は、それまで、数回訪問しても不在が続いていましたが、今回はお会いでき、原発事故の影響で失業したこと、今は無職だが、被災前と同様に、地域の子どもたちと関わっている様子をいきいきと話してくださいました。その方は、「血圧は前から高いけれど、頭も痛くないし、元気だし、医者に行くと悪い所が見つかって、どんな怖いことを言われるかわからないから、行ったことがないんだよ」と言いながら、それでも、自宅に入れてくださり、血圧を測らせてくださいました。案の定、上が197でとんでもない高血圧でした。「必ず受診してください、あなたが倒れたら、指導を受けている小中高生が困ります」と強くお願いしました。『要継続訪問』として申し送りをしました。

別の独居男性でも、同じように血圧が高いことを知りつつも受診歴は無く、今回の戸別訪問をきっかけに、強く受診を勧められて、医療に繋がった方がいらっしゃいました。

私は現在、市役所の障害者福祉課で働いています。信じたくないことですが「失明寸前、透析寸前、または、失明して初めて、糖尿病だったと知った」という方が、一人ではなく何人もいらっしゃいます。今回お会いした未受診だった方々も、発症して、機能を失って、初めて健康が損なわれていたことに気付く、という可能性があったと思います。

全戸訪問は、平時には行わないと思いますが、このような災害時の状況の中で、被災から15ヶ月経っても、継続して訪問を続けてきたことで、こうして、自分の健康問題に注意を向けられた方々がいらっしゃることは、大変意義深いと思いました。

そして、改めて、震災に関わらず、平時から、どこの地域であっても、意識の低い方々にも、健康教育を周知していくことの大切さを思いました。

2箇所の支援活動に参加して、改めて思うことは、被災したどこの地域も大変な状況、多くの課題を抱え、それに懸命に対応しているのは勿論ですが、冨岡町のように、原発事故の影響で、全住民、会社も役所も全てが、故郷を離れて避難を強いられている自治体の方々の大変さは計り知れないと思いました。今後の復興も最も時間がかかるこの地域の方々のことを、特に忘れてはいけないと思いました。

私の夫は震災当日は帰宅難民になり、住む地域は当初は計画停電があり、ガソリンが買えないなど、不便な経験をしました。被災することの大変さの、ほんの一部に過ぎませんが共有する体験があったと思います。時間の経過とともに、私の中でも、震災が「遠いところで起こった事、他人事」のようになってしまっていると思いました。忘れないために、より身近に感じ続けるために、今回また、支援活動に参加させていただいて、本当に良かったと思います。

微力な私と、一緒に活動してくださった方々に、改めて感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。本当にありがとうございました。

報告者:埼玉県狭山市役所・障害者福祉課・嘱託職員

長谷部 君子(class  of  1985   旧姓・大嶽)

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2012年4月 2日 (月)

再度、相馬に行ってきました。

 さて、11月にご報告したのと同じように、学部生も含めて延べ119名で1週間、相馬市内の仮設住宅を訪問いたしました。

 325日に相馬に入り、活動期間は、326日から30日までの5日間でした。初日は、気温0度で小雪がちらつく中での活動でしたが、最終日には気温19度となり、相馬の冬と春の境目を体感した1週間となりました。

 

 今回の特徴は、相馬市保健センターとの協働体制を組んだことです。仮設住宅入居者を対象とした健康診査結果に基づき、必要な方への保健指導を目的とした訪問をするという内容です。

 保健センターの保健師が準備してくださったのは、230件の調査票です。仮設住宅の組長の取り計らいもあり、お目にかかれたのは165件(71.7%)となりました。

 

 11月には本格的な冬を前にした仮設住宅での生活の不安からくる訴えが沢山ありましたが、今回は、一冬を乗り越えた自信からなのでしょうか、次にどこに家を建てるのかといった課題に関する不安に変わってきているようでした。相馬市沿岸部の、原釜地区、磯辺地区など、すさまじい津波の被害を受けた場所は、ほとんどの瓦礫がなくなり、広すぎる平坦な土地が横たわっています。すべての住宅が流され、すべての田畑が潮で覆われ、その後片付けがいかに大変な作業であったのかが今は偲ばれるだけになっています。

 11月に生まれたての赤ちゃんが、しっかりと首が座って、順調な成長振りを拝見できたこともあり、相馬市の皆さんの力強さが心に沁みました。

 

 参加してくださったみなさま、ありがとうございました。

 さまざま調整してくださった保健センターの皆様、お世話になりました。

 立谷市長、相馬市の長屋プロジェクトのご成功を祈念いたします。

http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/melma/20120228_melma.html

 

報告者 : 聖路加看護大学 看護実践開発研究センター

      センター長 山田雅子

 

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集会所の前で勢ぞろいしてみました。

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相馬神社の奥には、野間追の馬が

たくさん住んでいました。

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和田さん(左)は4月から4年生。

井部学長(右)と一緒に訪問です。

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2012年3月26日 (月)

今年度一杯の感謝

~みなで集まりました~

 先日、お彼岸の中日に、「きぼうときずな」参加者をお誘いし、夕食会を催しました。この活動の二人のリーダである大橋靖雄氏と井部俊子氏も参加くださり和やかな時間でした。

 まず、4月~12月までいわき市での活動を支えてくれた岩田さん、長いことありがとうございました。4月からは在宅ケアに関連した仕事に就くことが決まったとのこと。今回の経験が次のキャリアに繋がったようでうれしいです。がんばってください。その岩田さんの後任となる相場さんは、今回もネクタイを締めて参加してくれました。保健師として新しく階段をのぼり始めてくれたことに感謝。皆で見守っています。がんばってください。

~現地の様子は~

 それから、厚生労働省から被災者支援策を調整している、保健指導室の石原美和さんも参加してくれました。現在いわき市には、原発周辺の8町村からの避難者が殺到し、市内の人口が35千人も増えているそうです。さらにその人々が十分な支援を未だ受けられていないことを重く見て、いわき市内での保健師活動の重点化を図ることを計画しているというお話がありました。国の予算で「きぼうときずな」事業にも少し資金が流れてくるようになりました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 厚労省の石原さんの「命令」で、現在いわき市に入っている日本赤十字看護大学で地域看護を教えている澤井さんも参加してくれました。上記のいわき市での課題解決に向けて、これからどのくらいの保健師による活動量が見込まれるのか、試算するということになっているのだそうです。

~今後の私たちの活動は~

 こうした状況で、私どもの活動は、次年度に向けてどのようになっていくのでしょうか。大橋先生に伺いました。

 結論としては、4月以降も活動は続きます。いわき市では、活動予算が下りましたので、そのお金を大橋先生のNPO法人が受け、そこから相場さんを派遣するという形をとります。いわき市からは2名の保健師を望まれていますので、相場さんの相方になる看護師・保健師をこれまでのように募り、支援活動を続けていくことになりそうです。

 富岡町では、町の予算で臨時の看護職員を雇用するという形態をとり、これまでの戸別訪問を継続することを計画しているとのことです。日赤医療センターの師長を勤める貴家(きか)さんが、病院を退職し、ふるさとの福島に戻り、富岡町での活動を引き継いでくださるとのことです。貴家さんは、大橋先生とは小学校の同級生だそうです。

 そして相馬市ですが、来週1週間大勢で伺い、仮設住宅を回ります。11月には、「心のケアチーム」として訪問しましたが、今回は、相馬市保健センターの仕事として伺うことになりました。次年度については未定です。

~まとめますと~

 といったところで、今年度一杯とりあえず続けるといっていた福島県災害支援プロジェクトですが、おかげさまで、次のステージに移れそうです。被災地の様子はまだまだ混沌としていますが、やれることからこつこつとこれからも続けてまいりたいと思います。

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こつこつと活動した成果の一かけらをご報告します。

〇いわき市では、4000戸訪問しました。

〇郡山では富岡町民、2400戸訪問しました。

〇相馬市では、1336(+32530日に235戸を予定)訪問しました。

報告者:聖路加看護大学 看護実践開発研究センター

     センター長 山田雅子

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2012年3月 9日 (金)

いわき市の新しい現地コーディネーターです!

初めまして、2月よりいわき市の現地コーディネーターを務めております、日本臨床研究支援ユニットの相場繁と申します。

皆様のご協力のおかげで、いわき市では県特例ケース(自主的に引っ越し先を見つけた方で、家賃補助を受けているケース)への初回訪問を2月中にほぼ全数終えることができました。

3月以降は継続して支援するケースおよび、未だ会うことができていない未面談ケースへの対応を中心に行っております。

また、2月29日より【いきいき交流サロン】という新規事業が始まりました。(主催:社会福祉協議会)

津波被災地域に居住している高齢者、津波被災地域から避難された高齢者を対象に、交流の場を設け、介護予防運動などとじこもりを防止することを目的とした事業です。

参加者はバスなどで実施場所の温泉祝初施設(いわき市内の新舞子ハイツ、ゆったり館、勿来の関荘)に移動し、温泉につかることができます。

きぼうときずな活動としては、いわき保健所の依頼で入浴前の血圧測定および健康相談を行っております。

参加者はもともと住んでいた地域の仲間と再会することでき、私達としては多くの笑顔を見ることができたり、戸別訪問にてお会いしたことのある方と再会することもあり、とても意義のある事業だと感じられます。

いわきで活動を始めて1か月ほどですが、いまだ震災は続いているというのが正直な感想です。

参加するまでは東京に住み、特にいわき市の状況を知る機会はほとんどありませんでした。

東北での地震や津波、原発の影響があることはニュースなどで聞いていましたが、他地域に比べて報道される回数は多くありませんでした。

現地を見て、現地の人の話を聞くと、東京でぬくぬくと過ごしていた自身の甘さに気づかされます。

特に印象的だったのは、とある被災者さんが、「がんばれ、って言われても、何を頑張ったらいいか分からない。そんな言葉より、少しづつ元に戻そう、前を向いて行こう、という言葉がとてもうれしい」とおっしゃっていたことです。

なかなか皆様全員が現地で支援活動を行うことは難しいと思います。

現地に行かなければ状況もわかりませんし、ふとすると大変さを想像することを忘れ、安易に頑張れという言葉をかけてしまいがちです。

けれど多くの人が前を向こうと努力し、元の生活に戻ろうと活動をしています。

具体的な支援活動は難しくても、買い物をするときに東北産のものを選んだり、旅行のお土産をちょっと多く買ってみたり、そんなちょっとしたことが被災者の皆さんの助けになると思います。

地域全体としても自分自身としてもまだまだ多くの課題がありますが、自身の生活を思い直し、「何事もない一日」という幸せをかみしめながら、もとの生活へ戻ろうとしている皆さんの力になれるよう活動していきたいと思います。

今後ともご協力をお願いいたします。

日本臨床研究支援ユニット

きぼうときずな現地コーディネーター(いわき市)

相場繁

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上野⇔いわき間の移動手段のスーパーひたちです。3/17のダイヤ改正に伴い新車両が登場するので、この車両の出番が少なくなってしまいます。

いわき市平地区にある〈どんこ〉というお店の天丼です。このボリュームで1000円、とってもおいしいです。

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2/29からの新規事業≪いきいき交流サロン≫の会場の一つの新舞子ハイツ(平地区)です。

新舞子ハイツのすぐ近くの光景です。まだまだがれきの処理ができていないところが多く残っています。

 

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2012年2月27日 (月)

いわき市での活動をふり返って

 

いわき市で活動していました岩田です。

先日、いわきでの調整役を相場さんに引き継ぎました。

 

あたらめて振り返ると、初期のどこか緊迫した気持ちや現地の雰囲気を思い出します。

今は、ずいぶん落ち着いたように見えますが、

現地で過ごす時間が多くなればなるほど、失ったものの大きさを切実に感じる日々でした。

また、原発の問題など、これから先の困難を思うと、気持ちも重くなるようでした。

 

それと同時に、こうして東京に戻ってくると、忘れてしまうことのあまりに容易な日常に、少し怖さもかんじています。

 

それだけに、これまで、忙しいなかで時間と気持ちを割き、活動に参加してこられた皆様には、

あたらめて尊敬の念を覚えます。

 

わたしも、今いるところでできることを考えつつ、

いわきの保健師さんの暖かさと強さ、すばらしい仕事ぶりに、

大変な中でも明るさと思いやりと強さをしめしてくださったいわきの方々に、

いわきのすばらしい自然に、

そして活動に参加される、個性的でプロフェッショナルなみなさんに、

またぜひ会いに行きたいと思います。

 

活動へお誘いくださり、見守り支えてくださった先生方にはほんとうに感謝しています。

 

いわきのドライバーさんの「ぐるナビ」により、多少(どころではなく)増えた体重が、

なんとか減ってれることを願いつつ。

 

岩田 証子

 

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2011年11月15日 (火)

相馬での活動報告

 相馬で全戸訪問、目標達成しました。

 

 2011年11月7日から12日の1週間、学部生、大学院生らとともに相馬市内の仮設住宅の全戸訪問を実施しました。対象となったのは、4箇所の仮設住宅で、戸数合計は1500戸にのぼります。

 

 相馬には常磐線が使えませんので、一旦福島に出てからバスで山を越え、沿岸部にたどり着きます。以前、5月に訪ねたときには、津波でめちゃめちゃになっていた商店街も、今回は営業が再開されたお店も多く見受けられました。しかし、まだボートが路上に放置されたままになっていたり、田んぼに海水がたまったままになっていたり、その爪あとはまだまだたくさん残っています。

 

 7日には、井部学長も一緒に大学前からバスに乗りました。参加した学生さんたちが無事に相馬の宿(飛天)に到着するのを見届けて、その日のうちにお帰りになりました。なんと、学長は、ホテルにタクシーが到着するまでの10分間で、温泉に入られたのです。限られた時間を有効に活用し、尚且つ予定に間に合うという管理者ならではのタイムマネジメント魂を拝見いたしました。

 

 さて、活動は順調でした。学生さんたちが粘り強くコミュニケーション技術を駆使して住民たちの課題を掘り起こしてくれました。その奮闘記については、参加された皆さまからの気候を楽し荷にいたしております。

 

 とにかく、皆無事に目標を達成できたことに心から感謝いたします。多くの皆さまのサポートをいただきました。ありがとうございました。

 

報告者:聖路加看護大学 看護実践開発研究センター長

     山田雅子

 

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活動初日。飛天のバスで活動拠点の保健センターまで

送っていただきました。

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福島県災害支援プロジェクトコーディネーターの八重さんと石井さんです。お昼ごはんにホット一息

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2011年9月27日 (火)

郡山での個別訪問報告(入居後約2カ月を経ての状況)

9/209/22の3日間、郡山での活動に参加しました。前後を連休に挟まれたこの3日間は、11地区ずつ、3つの仮設住宅の個別訪問を実施しました。

 訪問対象は、継続フォロー者と新規入居者(の健康状態確認)で、当日の対象者は直前にその地区を訪問した保健師により、すでにセレクトされています。(まさに、聖路加チームです)今回3か所を訪問してみて、継続フォロー者数、診療所や談話室・自治会の有無など、入居後しばらく経って各地区の特徴が少しずつ出てきているところだと感じました。各地区には、社協の生活支援員さんがいらっしゃり、ご自身も被災されながら皆さん本当に一生懸命で、頭の下がる思いでした。

 今回で私達の訪問を終了した方が何名かいらっしゃいました。入居当時は知り合いもなく、生活の不安を一人で抱えていた独居のお年寄りを訪問したら、お友達が来ていました。同じ仮設で知り合った方で、お互いの家を行き来するようになり「最初の避難所で毎日死ぬことばかり考えていたことを話したら、二人とも同じだったの。生きててよかった。」と穏やかな笑顔で話して下さいました。80歳を過ぎて、新しい土地で新しい友人を見つけ、支え合っているお二人の力強さに、こちらがエネルギーをいただきました。また、別の独居の方は、支援員さん達が食事を届けたりして支えていましたが、医療ともつながり、介護保険でのサービス開始が決定しました。支援員さん、町の保健師と相談し、こちらの訪問は終了としました。ここまで活動を継続してきた仲間の努力を改めて感じた訪問でもありました。

 このように、時間が経過する中で、現地の方々の努力や被災された方自身の力、頑張りにより、少しずつ状況は変わってきています。

一方、高齢者や障害をかかえる方にとって、雇用や住環境の問題はやはり大きな壁となっており、「心が折れそうだ・・・」と訴える独居の方もいらっしゃいました。新規入居者でフォローする方も含め、継続支援を必要としている方はまだまだいらっしゃいます。

 

 郡山の位置関係も社会資源の現状も知らず、たった3日間の活動で、私にできることがあるのだろうか?そんな不安も持ちながら参加しました。確かに、現地の様子もわかり、もっと長く居られれば・・・と思う気持ちもあります。

でも、大切なのは「状況は必ず変化していく」という信念・希望を心の中に持って、たとえ今すぐに解決しなくても一緒に考える、十分に聴く姿勢であり、当然ですが日常の仕事と同じなのだと思いました。

 そして何より、現地で頑張っていらっしゃる町の保健師や生活支援員さんの活動を少しでも応援できるよう、これからも聖路加チームの活動を継続していかなければならないと思いました。

とはいえ、本来の仕事を休んでの参加には限界があるのも事実です。力を結集するために、一人でも多くの方に参加いただきたいと思います。私もできることを考え続けていきたいと思っています。

 最後に、今回ご一緒に活動させていただいたお二人の先輩に感謝いたします。全員が慣れない場所での仕事でしたが、お互いの状況を気遣い、声をかけながら積極的に協力して仕事できる環境は、本当に気持ちの良いものでした。ありがとうございました。by 鈴木かおり:旭化成エレクトロニクス(class of 1985

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聖路加チーム

ビックパレットの図書館

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2011年9月 6日 (火)

郡山市での活動報告(その3) 『走りながら考える聖路加魂』

829日(月)~92日(金)の5日間、郡山市での活動に参加しました。

震災後、自分にも何か出来ることはないかと模索していたとき、『福島支援プロジェクト』を大学HPで見つけました。仕事の調整が、家が、休みが・・と躊躇しながらも、事務局に連絡をとっていました。しかし、派遣の日程が迫ってくると、全く違う現場で仕事している自分が行っても、支援どころか、皆に迷惑かけるのではないかと後悔と緊張の毎日。阪神大震災で実家が被災したとき、支えてくれた聖路加クラスメートの顔を思い浮かべて、気持ちを奮い立たせながら郡山に向かい、初対面の聖路加メンバーと合流しました。

翌朝、一緒に活動する滋賀県湖南市、新潟県柏崎市の保健師チームと、自己紹介もそこそこに、ぺ・ヨンジュン号に飛び乗り、引継ぎ書を斜め読みしながら、仮設住宅に向かい、集会所で『健康サロン』を開催しました。「帰りたくても原発で帰れねえんだ。けど泣いたってなにも始まらないからさ。」と気丈に話してくださる参加者の血圧を測り、町民歌を歌い、体操し、一緒に笑いました。午後は一緒に活動した仲間と、意見交換、明日の準備。月~水の仮設住宅を回っての『健康サロン』開催はあっという間に過ぎていきました。週の後半は継続ケースや名前だけ書かれた新規のカルテを見ながら、これまたペ号に乗っての戸別訪問。同じ造りの仮設住宅内、番号を探しながら歩いていると「前も同じチョッキ着た人(聖路加メンバー)が話聞いてくれたんだよ」「おら元気に過ごしてるよ」「ありがとね、訪ねてきてくれて」「血圧だけ測ってもらえるか?」次々声をかけてくださいました。ここまで道を作ってくれた聖路加ファミリーの『絆』を感じつつ、私も次に繋がる道を作っていきました。

初めて出会ったメンバーで情報収集し、アセスメントして、計画作成、必要と判断したら、躊躇わずに即実行・・・、有効でないときは即計画修正、頭と身体の同時進行、走りながら考える毎日。ん?これってどこかで勉強した動き?聖路加での学びは常にこの姿勢だった気がします。

 富岡町から避難なさった住民の皆さん達、ペ号の運転手さん、富岡町の保健師さん達、生活支援員さん達、一緒に活動した湖南市、柏崎市の保健師さん達、そして愛すべき聖路加ファミリーの面々との、忘れられない出会い。また、気持ちよくボランティアに出してくれた職場や家族への感謝の思いを改めて感じ、たくさんの暖かい気持ちをもらって福島を後にしました。

福島の復興はまだまだ遠いです。あらゆるところで、人手が必要です。他府県チームの活動が終了する中(滋賀県湖南市チームは831日、新潟県柏崎市チームは913日で活動終了です)聖路加の『絆』を繋ぐ力も、充分ではありません。

どうか聖路加ファミリーの皆様、一緒に活動しましょう!私もまた参加したいと思います。

  報告者:政策研究大学院大学 保健管理センター勤務

  田中ゆり(class of 1984 旧姓吉村)

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健康サロンの司会中

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湖南市柏崎市保健師チームと記念撮影

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2011年9月 2日 (金)

郡山市での活動報告(その2)

 

829日(月)~31日(水)までの3日間、郡山市での災害支援活動に参加いたしました。

郡山市では現在、富田町、大玉村、緑が丘の仮設住宅にお住まいの方々の健康支援活動を行っています。私が参加した3日間は、健康サロンの開催日でした。8月は月~水曜日が健康サロンの開催、木・金曜日が戸別訪問というスケジュールで活動が進められていました。

今回の私の活動最終日(831日)は、ビッグパレットふくしまが避難所として閉所となる日でもありました。私はたまたまその日に活動に参加していたおかげで、「閉所式」に参加させていただくことができました。

ビッグパレットふくしまは、316日より富岡町と川内村などの方々の避難所として開所されました。831日までの約5ヶ月半の間には、最高で約2500名の方々がお過ごしになっていたのだそうです。閉所式では富岡町長(遠藤勝也氏)やビッグパレットふくしまの館長によるご挨拶の後、“ビッグパレットふくしま避難所の軌跡”という約10分間のDVDが上映されました。ビッグパレットで撮影されたたくさんのスナップ写真には、子どもたちの笑顔や人々の生活が映し出されており、その最後は“To be continued”としめくくられていました。

ビッグパレットでの避難生活は831日で終わりとなりましたが、人々の避難生活は仮設住宅などに場所を変えてまだまだ続いていきます。被災後の急性期は過ぎたかもしれませんが、人々にはまだ支援の手が必要だと思います。

3日間の活動終了後、うしろ髪を引かれる思いで郡山市を後にしました。また時間を作って活動に参加したいと思っています。

報告者:聖路加看護大学看護実践開発研究センター

    實﨑美奈(じつざきみな)

 

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富岡町長(遠藤勝也氏)

のご挨拶

共に活動した仲間と

地元のドライバーさん

 

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2011年8月 8日 (月)

郡山市活動報告

8月4日と5日の二日間、郡山の活動に行ってまいりました。

 

多くの人々が震災後にともに生活をしてきた巨大な避難所、ビックパレットも8月末をもって終了と決まったようです。災害支援としては一歩前進したように思えます。しかし一人ひとりの生活に目を向ければ、それは前進ではない場合も少なくないようです。

 

仮設住宅に移っていった人たちは、土地も家も職も失った方が少なくありません。いつになったら自宅に帰れるのかは誰にも分からない中、衣食住全てについて経済的な負担がかかると言います。せめて顔見知りの人に出会えればよいなと思い、また、ほかの人と話がしたいという住民の要望から「健康サロン」が始まりました。富田町、大玉村、緑ヶ丘3箇所の仮設住宅で、週に1回ずつ、お集まり下さい。お話だけでなく、一緒に調理をしたり、お散歩の会を作ったり、さまざま活動に発展しってほしいと願っています。

 

 今回は、聖路加看護大学大学院の同窓生で、現在広島市議会議員をしている馬庭さんとご一緒でした。これを期に自治体どおしのきずなが深まったらどうでしょう。辛い中にも希望が見えてきますように。

 

報告者 : 聖路加看護大学 看護実践開発研究センター長

      山田雅子

 

 

Cimg0008_9       「健康サロン」開催中の様子

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